“私の山登り”その1/野中久幸



【富士山 静岡県十枚山頂上より 1999/11/21撮影】

はじめに
 栄寿会京都支部のホームページ「趣味探求」に山の原稿の依頼を受けたが、私の山登りは「趣味探求」に値しないと思うが熱心な要請もあり受けすることにした。山登りも色々ありロッククライミング・沢登り・テントを担いだ縦走・冬山の縦走や海外の高山を登るなら「趣味探求」の領域と思うが、私は一番簡単な一般ルートを選び平凡な山登りが中心で「日本百名山」や「新日本百名山」」等を登る為に、北海道・利尻島から沖縄・石垣島まで日本国内・全47都道府県の山を登った事ぐらいだ。


山の魅力に取りつかれ
 小学生のとき音楽と体操が一番苦手な科目だった。特に瞬発力の必要な運動は最低だったが、持久力の必要なマラソン等はクラスで上位だった。戦時中の小学生4年から京都疏水の戎ダムにあった京都武徳会(今の京都踏水会)で小堀流の古典泳法や琵琶湖での遠泳等を、高校の時には水泳部に所属し長距離競泳や水球等持続力の必要な競技が得意だった。長じてスキー・ゴルフは熱心にやったが、これらの競技はどちらかと言えば瞬発力が必要なため、さほど上達しなかった。山登りは完全に持久力が要求され、自分との戦いで私の性格にも合い持続出来たと思う。
 山には興味はあったが本格的に山に登ったことはなかった。北陸に転勤4回、計13年間住んでいたので白山を眺める機会が多かった。鯖江村田に勤務していた64歳の時、髭さんに誘われて待望の白山に登ることになった。トレーニングのため沼田さんに連れてもらって妻と一緒に重いカメラと三脚を持ち富士写ケ岳に登ったが、途中から沼田さんにそれを持ってもらってどうにか登る事が出来たが、翌日から筋肉痛で一週間ロボット状態・・・非常に難儀した。これではダメと登山道具を一式購入し西方ケ岳、冠山、荒島岳、平家岳等福井県の山を妻と二人で登り猛訓練をして白山に登った。
 山を選び、どのルートが一番登り易いか、二万五千分の一の地形図を入手してにらめっこ、これも結構楽しいものだ。準備手配していよいよ登山開始、登山中何故こんなしんどい事をするのかとしばしば思うが、美しい景色や幻想的な雰囲気や可憐な高山植物に出合うと苦労も吹き飛び頑張れる。目的の頂上に到達し周りの素晴らしい眺望に出会えば何とも言えない充実感と達成感、さらに今までに登った山々が見えれば満足感一杯、富士山が眺められたら最高の喜びだ。大変な思いをして登った山ほど充実感と達成感も大きくその魅力に取りつかれ、17年間で722の山に登るという記録になった。


栄寿会京都支部山歩き同好会
 栄寿会発足当時は散策同好会の中で山歩きを、小澤一也・小野繁夫・山田勝商さん等がリーダーとなり四年間で18回実施された。その後、散策同好会から分離独立して山歩き同好会になり小野さんがリーダーで一年間4回、山田さんがリーダーで一年間3回の山登りが実施され、その後、私がリーダーとして十三年で141回の山登りを実施した。関西地方の山々を中心に登ったが、宿泊を伴う山行も計画し北海道から九州まで44回実施した、同じ釜の飯を食ってきた人々とお互いに言いたいこと言いながら山に登れるのは最高だ。栄寿会の仲間とは合計284の山に登った。 2005年から大森町周辺の北山に登り下山後は牡丹鍋で忘年会を、2006年からは愛宕山に初詣登山し水尾の里で柚子風呂のあと新年会を、栄寿会の仲間と楽しいひと時を過ごす事が定例化している。   以降、文は「その2」へ続く。下記「その2」ボタンをクリックしてください。

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