“カンツォーネへの誘い”その1/市川 勲



【左フィレンツェのドゥオモと右喫茶Gilli】

はじまりは
 1961年(昭和36年)村田製作所に入社して以来、一貫して市場調査・マーケティング・企画の仕事に携わってきた。そういった関係で、社外のセットメーカーや半導体メーカー、各種電子工業関連工業会のマーケティング部会、各種調査機関、通産省・企画庁の統計部門等々に人脈が多く、たくさんの友人ができたことは大変恵まれていたと思う。趣味をつうじてのお付き合いは、部署や会社が変わっても続いているし、また定年後の今も続いている。人生、何が大切かといえば、趣味や気の合った友人を一人でも多く持つということほど大切なものはないと思う。我々の年代は、ただがむしゃらに働いてきて、気が付くと仕事をとったら何も残らないといったひとが多いのではないだろうか。ご多聞にもれず会社人間であった私にとって、学生時代のころに没頭していた「カンツォーネ」や「シャンソン」、 「ファド」の世界が蘇ったのは、1989年、場所と人に恵まれた東京へ単身赴任した時からである。

カンツォーネの歴史
 よく人からカンツォーネとシャンソンの違いについて聞かれることがあるが、「カンツォーネ」を英語で言うとSong、シャンソンもファドも同じSongであるから、日本の演歌や民謡と同じで、簡単にいえば、イタリアの歌であり、フランスの歌であり、ポルトガルの歌であるということになる。

シャンソンの歴史は人類の起源と同じくらい古い。13世紀には早くもシャンソンは、愛、喜び、ギャラントリーの精神、悲しみ、そして悩みを表現するために頻繁に使われ、1501年にはイタリアで最初のシャンソン曲集(オッタヴィアーノ)があらわされる。印刷術のおかげで飛躍を遂げたとされている。このようにカンツォーネとシャンソンは歴史的にも地理的にも非常に近いところに生まれてきたので、大変似たようにも思えるが、ちょうどフランス人、イタリア人、ドイツ人やポルトガル人に異なった国民性があるようにげんみつには大変異なっているようにも思う。
敢えて私の独断と偏見で感想を述べるとシャンソンは詩"ポエム"であり語りかけであり、大きな声量を必要としない声法であるため胸にしみるように響くが、カンツォーネはベルカント唱法というか、オペラのようにおなかから声をだして血を吐くように情熱的に歌うのが多いため、哀歌であってもカラッとして明るい。

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