“私と絵画”その1/藤原由嗣


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はじめに
 栄寿会京都支部のHPに連載されている〔趣味探求〕欄に、私の絵の趣味について書けと言われたものの、多くの方々に読んでいただけるような趣味といえるようなものが私にあるのだろうかと、今更ながら深く考え込んでしまいました。これまでこの欄に連載された先輩諸公の趣味のレベルは既にプロフェッショナルな域に達しておられる方々ばかりで、私が絵を描くことなど正に〔お絵かき〕の幼稚園児並みであるのでお引き受けするには大変迷い、逡巡した次第です。厚顔無恥の見本のような〔趣味の記述〕ではありますが、これもHPの中の「枯れ木も山の賑わい」の一つとしてお許しいただきたく、前もってお断りする次第です。

最近の作品から

【押し流された歳月】アクリル画 F100号 2011・10

 2011年3月11日、日本を驚愕と悲嘆の坩堝に叩き込んだ東北大地震は今更申し上げることではありません。
その日の午後、私は所属する美術協会の、3月下旬に開催される展覧会に出品する作品の仕上げのために筆を動かしていました。正確な時間は判りませんが午後3時前、突然にフラリとした とても静かな、感じられないほどの揺れの感覚を手と筆に感じました。脳梗塞にでもやられたかなと一瞬感じたので少し休むことにしました。居間でテレビを点けると、[2時45分頃東北地方に大きな地震がありました。津波に注意してください]というテロップが流れていました。あぁさっきのフラリは地震の長周期波動ではないか こんな長岡京市まで到達するというのは相当大きな地震だなと思いながら見ていると、直ぐに宮城県名取市海岸等の津波の実況がテレビに映し出されてきました。次々と三陸沿岸の津波の実況が放送され、ただただ驚愕の連続でした。

 名取市の隣の多賀城市には友人が住んでいる。どうなっているのだろうか?という心配で気が気ではありません。連絡もつかないまま何日も過ごした後地震の被害はともあれ、津波は幸い逃れたとの報を得て安堵した次第ですが、あの大惨状をテレビで見て、その衝撃と心配のためか私はひどい帯状疱疹を発病してしまいました。後日医者に診てもらった時よくこんな状態になるまで放置していたなぁと医者に言われたほどひどい状態で、2年余り経った今でも背中半分にキリキリと切り傷のような痛みが残っています。数カ月後に現地を訪ね、聞きしに勝るその大惨状に私は言葉を失いました。それ以来、展覧会に出品する作品のメインモチーフをこの大災害にして今日に至っています。

 上の絵の図は、2011年10月の展覧会に出品した2点のうちの1点の写真です。もちろん実写ではなく、あくまで創作作品であることは言うまでもありません。

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